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ミツハシライブラリー

vol.01

ミツハシライスの原点 -創業からの想い-

歴 史
記念すべき「ミツハシライブラリー」連載第一回は、私たちミツハシライスのはじまりについて、お話ししたいと思います。懐かしい数枚の写真とともに、創業者・三橋幸次郎のお米に対する熱い想いをお伝えします。

昭和26年、「三橋米店」創業

創業者・三橋幸次郎(昭和27年当時)創業者・三橋幸次郎(昭和27年当時)

昭和26年(1951年)、鶴見区生麦に夫婦で営む小さな米店「三橋米店」がオープンしました。その米店を始めたのがミツハシライスの創業者、三橋幸次郎です。
当時の日本はまだ“お米は国からの配給品”という認識が強い時代でした。そんな中でも幸次郎は『ひとりひとりのお客様を大切にし、心を込めたお米を提供することで多くのお客様からの信頼を賜る』という理念を持ち、地に足をつけた経営を行っていました。それはもともと商売を営んでいた父・豊蔵の教えでした。幸次郎はその教えを守り、お客様第一の精神で着実に商売を続けていったのです。

「米袋」での販売を考案

幸次郎のお客様第一の精神は、それまでの「お米の常識」を改革していく様々なチャレンジへとつながりました。そのひとつが「御用聞き米屋からの脱皮」です。昭和30年代半ばごろの米販売はいわゆる御用聞きのスタイルで、訪ねた先で、必要量のお米を使い回しの袋に枡で計って入れて販売するという商売が主流でした。その方法では衛生面や信頼性に問題があると考えた幸次郎は、あらかじめ5キロ、10キロの袋に精米した米を入れ、注文をいただき次第お届けするという現在のスタイルを考案したのです。
昭和53年(1978年)には、県知事より米穀卸売販売業者の許可を受けて卸売にも参入、大型量販店へのお米の卸売をいち早く始めたのもミツハシライスでした。

  • 米袋での販売を始めたころの三橋商事株式会社米袋での販売を始めたころの三橋商事株式会社
  • 当時の精米工場の様子当時の精米工場の様子

「炊いたごはんの販売」をいち早く開始

昭和51年(1976年)港北の炊飯工場昭和51年(1976年) 港北の炊飯工場

精米事業を軌道に乗せた幸次郎がつぎに取り組んだのが炊飯事業でした。コメの消費拡大と付加価値の高い商品づくりを目指し、昭和51年(1976年)、業界に先駆け炊飯工場を設立したのです。しかし、外食関係の人々ですら『炊いたごはんを買う』などという考えは頭の片隅にもなかった時代、案の定、まったく売れませんでした。
それでも幸次郎はあきらめることなく猛勉強し知識を身につけ、こだわりを持つ外食業や弁当業などの『炊飯のプロ』たちを納得させようと、『炊いたごはんを買う』ことのメリットを説明し続けました。結果、少しずつ関心を持っていただくお客様が増え、1社、また1社と取引先を増やし、今や炊飯事業は精米事業とならび会社を支えるまでの事業に発展したのです。

ミツハシライスの原点を心に

袋に入ったお米や炊いたごはんを買うのが当たり前になった現在、食生活は日々驚くべき進化を遂げています。私たちミツハシライスもお客様のより良い生活のために、時代に沿ってチャレンジを重ねていかなくてはなりません。 しかしその根源にあるのは、創業者・三橋幸次郎が父に教えられたという理想。

―― ひとりひとりのお客様を大切にし、
       心を込めたお米を提供することで多くのお客様からの信頼を賜る ――

これが私たちミツハシライスの原点であり、現在も企業として大切にしている言葉です。今回の写真から思い出されたこの言葉をあらためて深く心に刻みながら、ミツハシライスはさらなる挑戦を続けていきます。

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